哲学では古代ギリシャ以来、愛をいくつかの形に分けて考えてきました。
1. エロース(Eros) ― 欲望としての愛
相手に惹かれ、求め、近づこうとする力。恋愛の始まりに強く現れます。
プラトンは「エロースは欠けているものを埋めようとする力」としました。つまり「自分に足りないものを相手に見て、惹かれる」ということです。
2. フィリア(Philia) ― 友情・信頼としての愛
友愛とも言われ、仲間や友人、家族との間に芽生える愛。
「一緒にいると安心できる」「信じ合える」という関係で、恋愛が成熟していくとフィリア的な愛に近づきます。
3. アガペー(Agape) ― 無償の愛
キリスト教思想に由来する考えで、相手のために与える、自己を超えた愛。
見返りを求めず、ただ「その人の幸せを願う」気持ち。親が子に抱く愛や、博愛的な人類への愛がここにあたります。
🔎 プラトンの「愛の階段(饗宴より)」
プラトンは愛を「美を求める上昇の道」と考えました。
まずは肉体的な美しさに惹かれる。そこから精神的な美しさ(心の高貴さ)に惹かれる
さらに知恵や善の美を求める。最後に「絶対的な美そのもの(イデア)」を愛する
つまり恋愛は、単なる情熱で終わるのではなく、「人間がより高い存在へ成長するための道」として捉えられたのです。
哲学的な愛は
欲望や情熱(エロース)から始まり、信頼と友情(フィリア)へ深まり、最後には無償の愛(アガペー)や「美そのもの」への愛へと昇華していく。
恋愛はその「入り口」であり、人間が自己を超え、成長していくための力とみなされてきました。
う~ん。さすがに哲学的に考えると難しいですね・・・
私は幾つになっても欲しがりの自分ファーストです。愛してもらいたかったら、まず愛さないといけませんよね?
0コメント